佐郷屋留雄(読み)サゴウヤ トメオ

20世紀日本人名事典 「佐郷屋留雄」の解説

佐郷屋 留雄
サゴウヤ トメオ

昭和期の右翼活動家 浜口雄幸狙撃事件。



生年
明治41(1908)年12月1日

没年
昭和47(1972)年4月14日

出生地
満州吉林省

別名
改名=佐郷屋 嘉昭(サゴウヤ ヨシアキ)

学歴〔年〕
政治学校卒

経歴
船員となるが、ストに参加して解雇され満州に渡る。昭和5年岩田愛之助愛国社に入り、同年11月14日東京駅頭で浜口雄幸首相を狙撃(翌年死去)、8年死刑判決を受けるが翌年恩赦で無期懲役、15年出獄。戦後29年井上日召らと護国団及び大日本護国団を組織、のち日本同盟に改組。36年には全日本愛国社団体会議議長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐郷屋留雄」の解説

佐郷屋留雄 さごうや-とめお

1908-1972 昭和時代国家主義者
明治41年12月1日清(しん)(中国)吉林省生まれ。満州で岩田愛之助の愛国社にはいる。昭和5年東京駅で浜口雄幸(おさち)首相を狙撃,8年死刑判決を受けるが,9年恩赦で無期懲役になり,15年出獄。戦後,井上日召(にっしょう)らと護国団を結成,のち団長。昭和47年4月14日死去。63歳。後名は嘉昭(よしあき)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐郷屋留雄」の解説

佐郷屋 留雄 (さごうや とめお)

生年月日:1908年12月1日
昭和時代の右翼運動家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐郷屋留雄の言及

【浜口雄幸】より

…日米妥協案に対する加藤寛治軍令部長らの強硬な反対を抑え,元老西園寺公望の支持と30年2月の総選挙でえた絶対多数の力を背景として,4月ロンドン海軍軍縮条約に調印,統帥権干犯を叫ぶ政友会や右翼の攻撃に屈せず,条約否認の構えをみせた枢密院にも断固たる態度で臨み,10月条約を批准させ,戦前政党政治の一頂点を築いた。しかし,これに不満をもった愛国社員佐郷屋留雄(さごやとめお)に11月14日東京駅で狙撃されて重傷を負い,31年4月総辞職,8月26日死去した。【江口 圭一】。…

※「佐郷屋留雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android