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井上日召 いのうえにっしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井上日召
いのうえにっしょう

[生]1886. 群馬
[没]1967.3.7.
国家主義者。本名昭。血盟団を組織,1人1殺のテロを指導。血盟団事件により,1934年無期懲役確定,1940年恩赦出獄

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デジタル大辞泉の解説

いのうえ‐にっしょう〔ゐのうへニツセウ〕【井上日召】

[1886~1967]国家主義者。群馬の生まれ。本名、昭。日蓮宗に帰依し、日召と号す。血盟団を結成、国家革新を計画し、一人一殺(いちにんいっさつ)主義を唱え、井上準之助団琢磨暗殺。裁判で無期懲役となったが、恩赦で出獄。第二次大戦後、護国団を設立。

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百科事典マイペディアの解説

井上日召【いのうえにっしょう】

日蓮宗僧侶(そうりょ)で国家主義者。本名昭(あきら)。東洋協会専門学校(現,拓殖大学中退。1930年右翼団体血盟団を組織,一人一殺を唱え,テロ活動を指導,団琢磨井上準之助暗殺事件(血盟団事件),五・一五事件などを生んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上日召 いのうえ-にっしょう

1886-1967 明治-昭和時代の国家主義者。
明治19年4月12日生まれ。日蓮宗を信奉,昭和4年から茨城県大洗で青年を教育した。のち血盟団を組織して一人一殺をとなえ,7年井上準之助,団琢磨(たくま)の暗殺(血盟団事件)を指導。無期懲役となったが15年出獄。29年大日本護国団を結成した。昭和42年3月4日死去。80歳。群馬県出身。東洋協会専門学校(現拓殖大)中退。本名は昭。著作に「日本精神に生よ」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

いのうえにっしょう【井上日召】

1886‐1967(明治19‐昭和42)
国家主義者,血盟団の指導者。群馬県出身。本名昭。東洋協会専門学校(現,拓殖大学)中退。中国で放浪生活を続けた後,日蓮宗に帰依して日召と号す。1924年ごろから社会改革を行う決意を固め,28年茨城県に設立した立正護国堂小沼正菱沼五郎ら近村青年を指導した。30年には霞ヶ浦海軍飛行学校の藤井斉ら海軍青年将校と提携して非合法運動に路線転換する一方,陸軍青年将校の一派とも結んだ。十月事件計画に加わったが,これが露呈した後は藤井らと独自に軍部クーデタを誘発する目的で要人暗殺を計画した。

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大辞林 第三版の解説

いのうえにっしょう【井上日召】

1886~1967) 国家主義者。群馬県生まれ。本名は昭。1931年(昭和6)右翼青年を集め、血盟団を組織して国家改造を唱え、翌年団琢磨・井上準之助を暗殺させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上日召
いのうえにっしょう
(1886―1967)

右翼テロリスト集団の指導者。本名昭。群馬県に生まれる。前橋中学卒業後、ボーイ見習、臨時職工、代用教員を経て、さらに早稲田(わせだ)大学、東洋協会専門学校中退後、1910年(明治43)満州(中国東北)に渡り、陸軍の諜報(ちょうほう)活動に従事するなど大陸を転々とし、21年(大正10)帰国。その後日蓮(にちれん)宗に帰依(きえ)し、24年日召を名のる。26年右翼団体建国会に入ったが、まもなく脱会。27年(昭和2)から茨城県大洗(おおあらい)の立正護国堂に住み、日蓮宗と国家主義による農村青年の育成にあたる。海軍青年将校とも結び、武力による国家改造を目ざすようになった。32年には血盟団を組織して「一人一殺主義」により暗殺を計画、配下の小沼正(おぬましょう)に元蔵相井上準之助を、菱沼(ひしぬま)五郎に三井合名理事長団琢磨(だんたくま)を殺害させた(血盟団事件)。自首し、34年無期懲役の判決を受けるが、減刑、大赦により40年に出獄。翌41年近衛文麿(このえふみまろ)に接近、相談役を務めた。第二次世界大戦後は48年(昭和23)公職追放。54年に護国団を創立し団長に就任するが翌年辞任、隠退した。[北河賢三]
『『日召自伝』(1947・日本週報社) ▽『炎の求道者 井上日召獄中日記』上下(1978、79・毎日新聞社)』

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世界大百科事典内の井上日召の言及

【小沼正】より

…尋常小学校高等科卒業後,大工の徒弟,上京して染物店,製菓工場などで働くうちに資本主義と左翼とに反発を抱く。1930年,小学校訓導古内栄司らの勧誘により日蓮宗信者となり,井上日召の影響をうけて,政財界要人の暗殺により〈国家改造〉の“捨石”たらんとする〈血盟団〉に参加。1932年2月9日,井上準之助前蔵相を拳銃で殺害(血盟団事件)。…

【血盟団事件】より

井上日召を盟主とする一団によるファッショ的〈国家改造〉をめざすテロ事件。1932年2月9日,前大蔵大臣井上準之助が,3月5日には三井合名理事長団琢磨が,それぞれ小沼正,菱沼五郎によってピストルで射殺され,犯人逮捕から,政財界要人20余人の暗殺計画が明らかになった。…

【五・一五事件】より

…1931年十月事件が不発に終わったのち,橋本欣五郎中佐ら幕僚将校は地方や外国に転勤させられ,幕僚将校に反感をもった隊付青年将校らは,荒木貞夫陸相のもとで国家改造が実現できるものと期待し,直接行動から離れていった。これに対して井上日召一派と藤井斉中尉ら海軍急進派青年将校は国家改造のための決起に固執し,はじめは32年2月11日の紀元節を期して政財界の要人を暗殺することを計画した。しかし上海事変が発生し藤井らが出征したため,まず井上一派が第1陣として〈一人一殺〉の要人暗殺を引き受け,血盟団事件をおこした。…

※「井上日召」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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