佐須浦(読み)さすうら

日本歴史地名大系 「佐須浦」の解説

佐須浦
さすうら

下県郡にある古代以来の浦。現厳原町西部の佐須川流域の諸集落を佐須と総称し、その河口入江を佐須浦と称した。近世の開発により田地と化した。「日本後紀」弘仁三年(八一二)正月五日条に下県郡佐須浦とみえ、前年一二月六日新羅船三艘が西海に浮んでいたが、うち一艘がにわかに当浦に着岸してきた。船中に一〇名ほどの乗組員がいたものの、言語不通のため消息を知りがたいまま、残り二艘は夜のうちにいなくなったと報告されている。しかし七日に二〇余艘の船が現れ、火を連ねているので、これらが賊船であったことがわかったとして、一〇名の乗組員のうち五人を殺害、ほかは逃亡したが後日四人を捕らえたと報じている。古代より高名な対馬銀山のあった地で、銀の本かねのもととよばれる古坑や、式内社という銀山ぎんざん神社がある。寛仁三年(一〇一九)の刀伊入寇ではこの銀山が荒されている(「小右記」同年六月二九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android