日本歴史地名大系 「佐須浦」の解説
佐須浦
さすうら
下県郡にある古代以来の浦。現厳原町西部の佐須川流域の諸集落を佐須と総称し、その河口の入江を佐須浦と称した。近世の開発により田地と化した。「日本後紀」弘仁三年(八一二)正月五日条に下県郡佐須浦とみえ、前年一二月六日新羅船三艘が西海に浮んでいたが、うち一艘がにわかに当浦に着岸してきた。船中に一〇名ほどの乗組員がいたものの、言語不通のため消息を知りがたいまま、残り二艘は夜のうちにいなくなったと報告されている。しかし七日に二〇余艘の船が現れ、火を連ねているので、これらが賊船であったことがわかったとして、一〇名の乗組員のうち五人を殺害、ほかは逃亡したが後日四人を捕らえたと報じている。古代より高名な対馬銀山のあった地で、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報