余は如何にして基督信徒となりし乎(読み)よはいかにしてきりすとしんととなりしか

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

余は如何にして基督信徒となりし乎
よはいかにしてきりすとしんととなりしか

内村鑑三(うちむらかんぞう)が1895年(明治28)5月警醒(けいせい)社書店より刊行した英文著書『How I Became A Christian』のこと。同年同じ内容の英文著書が、アメリカからも『The Diary of A Japanese Convert』の題で刊行されている。日記をもとにした、アメリカから帰国するまでを扱った自伝である。著者の生前から、すでにドイツ語、スウェーデン語フィンランド語デンマーク語、フランス語など各国語に翻訳された。日本語には、鈴木俊郎(としろう)、山本泰次郎・内村美代子、松沢弘陽(ひろあき)、大内三郎、鈴木範久(のりひさ)の諸訳がある。

[鈴木範久]

『鈴木俊郎訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

余は如何にして基督信徒となりし乎
よはいかにしてきりすとしんととなりしか

内村鑑三の自叙伝"How I became a Christian,out of my Diary"の日本語訳。 1893年初夏熊本で起稿,その秋京都で脱稿。初めアメリカ合衆国出版の予定であったが実現せず,95年5月警醒社から英文のまま出版された。同年 11月"Diary of a Japanese Convert" (『ある日本人回心者の日記』) として合衆国でも出版されたが売れず絶版となる。 1904年たまたまドイツ語訳が出たことからヨーロッパで大きな反響を呼び,北ヨーロッパ諸語,フランス語などに翻訳された。 11,12歳から 28歳までの約 20年間の自己の信仰生活を綴ったもので,単に個人の心の記録というだけでなく,明治初期の没落士族の儒教教育を受けた青年が,新来の西洋文化に接して,どのように自己を形成していったかという歴史的,文化的記録でもある。

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世界大百科事典(旧版)内の余は如何にして基督信徒となりし乎の言及

【内村鑑三】より

…その学業は今日の一般教養程度のものであったが,総長のシーリーJ.H.Seeleyの感化の下に回心を体験したこと(1886)は以後の活動を決定した。自伝《余は如何(いか)にして基督信徒となりし乎(か)How I Became A Christian》(1895)は誕生から回心までの記録である。帰国後第一高等中学校(旧制一高)嘱託教員のとき,教育勅語に敬礼を拒んだことが不敬事件として騒がれ,内村は世に住む所なきの苦しみを味わった(1891,内村鑑三不敬事件)。…

※「余は如何にして基督信徒となりし乎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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