余呉庄(読み)よごのしよう

日本歴史地名大系 「余呉庄」の解説

余呉庄
よごのしよう

現余呉町域、および現木之本きのもと町の飯浦はんのうら山梨子やまなしを含む庄園。余呉川・高時たかとき川に沿って伊香郡の山間部深くまで達する。文和元年(一三五二)一〇月、京極導誉は足利義詮から余呉庄の地頭に補任された(同月一九日「足利義詮袖判下文案」佐々木文書)。同下文案には当庄が要害の地であると述べられている。当地は北陸につながる分岐点に位置し、湖上交通にも利便な地であった。なお「領家年貢事、追可計定」ともあり、領家の存在が知られる。永和三年(一三七七)九月の散位成顕契約状案(同文書)によると領家は大炊御門家で、同家は当庄について訴訟を起こしていたが、庄内下郷が領家方に差戻されたため、訴訟を中止すると記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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