日本歴史地名大系 「余子浜村」の解説 余子浜村よこはまむら 兵庫県:姫路市旧揖保郡地区余子浜村[現在地名]姫路市網干区余子浜(あぼしくよこはま)・網干区垣内本町(あぼしくかいちほんまち)・網干区垣内北町(あぼしくかいちきたまち)・網干区垣内東町(あぼしくかいちひがしまち)・網干区垣内中町(あぼしくかいちなかまち)・網干区垣内南町(あぼしくかいちみなみまち)・網干区垣内西町(あぼしくかいちにしまち)興浜(おきはま)村の北に位置し、揖保川下流左岸に立地する。揖東(いつとう)郡に属し、網干三ヵ村の一。中世には福井(ふくい)庄に含まれた。文明一九年(一四八七)四月二五日の福井庄名主・百姓等請文(吉川家文書)によれば、赤松氏と山名氏の合戦の際、横浜(よこはま)村の新兵衛・新左衛門尉らは赤松方の福井庄東保地頭吉川氏から松原(まつばら)陣などへの出陣を免除された。長享元年(一四八七)と推定される福井庄村名注文(吉川家文書)に福井庄二八ヵ村の一として横浜村がみえる。慶長国絵図に「あほし小浜」とみえる。江戸時代の領主の変遷は大江島(おおえしま)村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by