イタリア盛期ルネサンスのベネチアの画家。アルプスの麓(ふもと)のピエーベ・ディ・カドーレで生まれる。生年はつまびらかではない。彼の友人ドルチェはその著書『絵画についての対話』のなかで、ティツィアーノが9歳でベネチアのセバスティアーノ・ツッカートに入門し、やがてジェンティーレ・ベッリーニのもとに移り、ついでジョバンニ・ベッリーニ、さらにジョルジョーネと師をかえていったと語っている。その最初期に帰せられる作品にはジョバンニ・ベッリーニや、とくにジョルジョーネの影響を示すものが多く、『田園の合奏』(パリ、ルーブル美術館)のように、ティツィアーノとジョルジョーネ間で、作品の帰属をめぐって、いまだ定説をみないものもある。記録の裏づけのある最初の作品は1511年のパドバのフレスコ(スクオーラ・デル・サント)であるが、この作品は、鮮やかな色調や、精彩ある人物表現によって、これに先行すると考えられる作品群より、いっそうティツィアーノの個性を顕著に示している。1510年ジョルジョーネが没し、翌年セバスティアーノ・デル・ピオンボがローマに移住、16年にジョバンニ・ベッリーニが死去することによって、ティツィアーノは名実ともにベネチア画壇の第一人者となる。この時期、ベネチアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の祭壇画として描かれた『聖母被昇天』(1516~18)は、その壮大な構図と、赤や青を金色に包み込んだ色彩の天上的な響きとによって、画家の才能を遺憾なく示した。
ティツィアーノのもっとも独創的な試みであり、また西洋絵画史上の一つの画期的なできごとでもあるのは、色彩を物体描写の役割から解放し、それに自足的表現力を与える方向へ大きな一歩を踏み出したことである。初期の作品にも認められる色彩の新鮮な用法は、年とともに伝統からの離反を鮮やかに示すに至る。このことは中期の作『荊冠(けいかん)』(ルーブル美術館)と、晩年のこれと構図的にもよく似た同主題の作品(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)とを比較するとき明らかである。
彼の長い活動期は多数の作品を生んだ。そのなかには宗教画のほかに『パウルス3世と甥(おい)、アレッサンドロとオッタビオ・ファルネーゼ』(1546・ナポリ、カーポディモンテ美術館)のような肖像画や『ダナエ』(1553~54・マドリード、プラド美術館)のような異教的主題の作品も含まれる。神聖ローマ皇帝カール5世、教皇パウルス3世、やがてスペイン国王となるフェリペ2世をはじめとする当時の多くの貴顕が競ってティツィアーノに揮毫(きごう)を求め、画家はこれに、質・量ともに超人的な力をもってこたえたのである。
[西山重徳]
『辻茂解説『世界美術全集8 ティツィアーノ』(1978・集英社)』▽『D・ローザンド解説『ティツィアーノ』(1978・美術出版社)』
イタリアの画家で,16世紀ベネチア派最大の巨匠。アルプス山麓のピエベ・ディ・カドレPieve di Cadoreで由緒ある公証人の家系に生まれる。兄フランチェスコFrancesco Vecellioも画家。伝承では,9歳のときベネチアに出てモザイク画家ツッカートSebastiano Zuccatoの門に入り,次いでベリーニ一族(とくにジョバンニ)の工房で学ぶ。早熟な才能を発揮し,1508年には同門のジョルジョーネの協力者としてフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の外壁装飾に参加。この先輩画家の詩情あふれる新様式から決定的な影響を受けるが,逆に彼にも刺激を与え,その夭折(1510)後は残された作品を完成した(ドレスデン国立絵画館の《眠れるビーナス》やルーブル美術館の《田園の奏楽》)。11年パドバのサント同信会館にフレスコ画《アントニウスの奇跡》を制作して画家として自立,18年にはベネチアのサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会のために大祭壇画《聖母被昇天》を完成して独自のモニュメンタルな古典様式を確立する。また師ジョバンニ・ベリーニ(1516没)の跡を継いで共和国公認画家となり,ベネチア画界の第一人者の地位を築く。同じころフェラーラやマントバの宮廷と,後にはウルビノの宮廷とも関係を結び,これらの君主のために多くの肖像画や異教的な神話画(バッカス祭三部作,1518-25。《ウルビノのビーナス》1538等)を描く。30年ボローニャで神聖ローマ皇帝カール5世と出会い,以後ハプスブルク家はフェリペ2世まで2代にわたって画家の最大のパトロンとなった(1533年にはカール5世から宮廷伯の称号を授与され,48年と50年にはその招きでアウクスブルクの宮廷に滞在,《カール5世騎馬像》等を描く)。1545年ローマに招かれ,教皇パウルス3世やファルネーゼ家のために制作,ローマの市民権を与えられる。
ティツィアーノは85年を超える長い生涯の中で,時代のあらゆる主要社会層を顧客として国際的な活動を展開し,国際的名声と世俗的栄華をきわめ,宗教画,神話画,肖像画の分野で500点近い膨大な作品を残した。その様式は,初期の精緻で豊潤な古典様式から晩年の〈色彩の錬金術〉と呼ばれる大胆な印象主義的様式まで,驚くべき変化と発展を示している。主題のいかんを問わず成熟期の作品では,情動と官能性に富んだ人間像は雄弁でしかも古典的節度を保った劇的構成を見せ,それを包みこむ詩的な魅力にあふれる背景空間との絶妙な絵画的呼応と調和を示す。ベリーニ以来のベネチア絵画の色彩主義的伝統の集大成者たる彼の歴史的意義は,(1)彩色を素描のように機能させ,明暗と色彩を和音的に編成することによって,ルーベンスやベラスケスらの源泉となる近世の古典的絵画空間を確立したこと,(2)フランドルの油彩技法を根本的に革新しインパスト(不透明)とグレーズ(透明)を自由に組み合わせる近代的な油彩画法を開発したこと,(3)頭部に光を集中させて本質的なもののみを描出する,生動感あふれる肖像画を生み出したこと,などにあるといえよう。
執筆者:森田 義之
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1488/90頃~1576
イタリア,ヴェネツィア派の画家。ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれ,ヴェネツィアで没。ベリーニ兄弟の工房に学び,ジォルジォーネの影響を強く受けた。ヴェネツィア共和国公認画家となって北イタリアの諸宮廷とかかわるとともに,1530年以降,神聖ローマ皇帝カール5世およびローマ教皇庁の愛顧を受けて名声を博した。初期の古典的な作風から脱して動勢のある構図を探求し,大胆な筆致によって形態を深みのある豊かな色と光に溶け込ませて,「色彩の魔術師」と呼ばれた。ことに晩年の作品は,バロック様式への展開を導くのみならず,油彩画の発展に大いに寄与した。代表作は「性愛と俗愛」「ウルビーノのヴィーナス」「ピエタ」など。
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…とくにフィレンツェのフィチーノやピコ・デラ・ミランドラらの新プラトン主義者たちの果たした役割は大きく,〈聖書と神話との間に,かつて夢想もしなかった和解の可能性〉(セズネック)が提示された。ティツィアーノの《聖愛と俗愛》(1515ころ)には永遠の幸福と一時的な幸福(チェーザレ・リーパ),キリスト教的な高次の精神と低次の精神,新プラトン主義的な存在の2種のあり方(パノフスキー)など,種々のアレゴリーが指摘される。レオナルド・ダ・ビンチの《白貂を抱く婦人の肖像》のように,誇り高い白貂の性質によってモデルの〈純潔〉をたたえるなど,肖像画の中にモデルの理想とする徳性を寓意化することも少なくなかった。…
…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…
…フランドルのP.ブリューゲル(父)は,世界と人間に対するシニカルな見解とその世界像をアレゴリーによって表す複雑な主題性において,この潮流の中に加えられよう。第3の傾向は,主としてベネチアに繁栄した独自の絵画であり,ティツィアーノ,ベロネーゼ,ティントレットがこれを代表する。ティツィアーノとマニエリスムとの関係は論議中であるが,彼の作品は16世紀の半ばをすぎるにつれて宗教的情熱が強烈となり,自由なタッチによる大胆な絵画的表現が強まるとはいえ,最後まで合理性と自然らしさの枠を超えることのなかったことからみて,むしろ〈プレ(先期)・バロック〉的傾向とみるほうがふさわしい。…
※「ティツィアーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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