信貴山城跡(読み)しぎさんじようあと

日本歴史地名大系 「信貴山城跡」の解説

信貴山城跡
しぎさんじようあと

[現在地名]平群町大字信貴畑

標高四三七メートルの信貴山に所在。大和・河内国境に近く、中腹信貴山寺がある。南北朝時代に度々砦が築かれ、楠木正成も一時拠ったと伝える。河内畠山氏の家臣木沢長政が天文五年(一五三六)大和に乱入し信貴山に本格的な築城を行って居城としたが、天文一一年に長政が河内で遊佐氏に敗北するや焼落ちた。「多聞院日記」天文一一年三月二七日条に「信貴城悉以焼ケ了、自ヤキ歟、由佐方打上テヤク歟、兎角ハシラス、猛火天ニ耀キ畢、上下万民ノサワキ不能是非、是併閇門ノ故歟」と記している。なお「和州寺社記」に、初め吉川喜蔵が築城し、永禄年中(一五五八―七〇)三好長慶の将松永久秀が拠ったとしている。

天文末年に久秀は信貴山城に入り、大修築に力を注ぐ一方永禄二年、大和の北入口に多聞たもん(現奈良市)を築いて山城・大和を、信貴山城で河内をにらみ大和一国を手中に収めようとした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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