「今昔物語集」巻一一、「宇治拾遺物語」などによれば、延喜年中(九〇一―九二三)に命蓮(明蓮、明練)が中興したという。承平七年(九三七)の信貴山寺資財宝物帳写(信貴山文書)には、
とある。後述する信貴山縁起(寺蔵)は命蓮にまつわる物語を絵巻物としたもので、命蓮がこの地に庵を結び、醍醐天皇の病悩平癒を祈って霊験があったので、「朝廟安穏、守護国土、子孫長久」の祈願寺として再建されたとみるのがよいであろう。ちなみに「扶桑略記」延長八年(九三〇)八月一九日条には、醍醐天皇の病気に際し、「志貴山寺住沙弥命蓮(中略)為加持候御前」とみえている。
室町期の菅家本「諸寺縁起集」には「件寺者、修行僧明練建立云々、本尊沙門天王也、以石櫃為本体、彼櫃仁在銘、護世大悲多門天、又聖徳太子為誅守屋大臣、於此山而為祈祷、奉造四天王像、以勝軍木造之、其時件沙門神体現給云々、巨細在太子伝」とあり、聖徳太子の物部守屋の討伐にまつわる四天王信仰に基づく、毘沙門天の出現が創建と結びついたと説いている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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