俣賀(読み)またが

日本歴史地名大系 「俣賀」の解説

俣賀
またが

本俣賀ほんまたが町・梅月うめつき町・ひだりやま町にかけての地域に所在した中世的所領。本来豊田とよた郷に属したが、地頭内田氏による分割相続の結果庶子が支配し、俣賀氏を名乗るようになる。嘉禎二年(一二三六)一二月一五日の将軍家政所下文写(内田家文書)によれば、豊田郷の一部が内田致員から庶子弥益(誉)丸に譲られている。永仁四年(一二九六)四月一六日の六波羅下知状(飯島一郎氏所蔵俣賀文書)と嘉暦二年(一三二七)正月二九日の尼光阿・藤原致俊代良祐和与状(同文書)によれば、弥益丸領は致直(俣賀上村、惣領か)と円戒(俣賀下村と横田下村)と蓮念(俣賀の一部か)などの息子に分割して譲られたことがわかる。徳治二年(一三〇七)豊田惣領地頭朝員が郷内の山河をめぐる訴訟で庶子で上俣賀村地頭である致直に敗れ(同年四月二日「六波羅下知状写」内田家文書)、次いで正和二年(一三一三)九月一六日には、空昭(致員)が俣賀下村地頭円戒から訴えられた所領をめぐる相論の和与が成立している(「空昭和与状」俣賀文書、以下断らない限り同文書)。郷内の開発が進展するなかで、惣領が郷内の山河と焼畑すべての領有を主張したのに対して、庶子が反発して幕府に訴え、惣領の意図を阻止している。一方、前掲嘉暦二年正月二九日の尼光阿・藤原致俊代良祐和与状によると、上俣賀氏(致俊)と下俣賀氏(光阿)も「助中尾山」をめぐって対立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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