俣野景久(読み)またの かげひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「俣野景久」の解説

俣野景久 またの-かげひさ

?-1183 平安時代後期の武将
相模(さがみ)(神奈川県)の住人治承(じしょう)4年兄大庭景親(かげちか)とともに源頼朝石橋山に攻めて敗走させ,ついで甲斐(かい)にすすんだが,安田義定,工藤景光(かげみつ)の軍に敗れて京都にのがれた。のち平維盛(これもり)にしたがって源義仲(よしなか)の軍とたたかい,敗れて寿永2年5月11日自害した。本姓は大庭。通称五郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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