朝日日本歴史人物事典 「俣野景久」の解説
俣野景久
生年:生年不詳
平安後期の武士。五郎と称する。父は大庭景宗。相模大庭御厨俣野郷の住人。身長6尺(182cm)を超え,強力で相撲の名手。治承4(1180)年,石橋山の戦で平家方の兄大庭景親に従い,富士山北麓で甲斐源氏に敗戦,京都へ逃れた。平維盛に従い,寿永2(1183)年,加賀篠原で木曾義仲と戦い敗れて自害。妻は尼となり鎌倉景正が郷内に建立した大日堂を守った。子孫に時宗総本山清浄光寺(遊行寺)を開いた呑海がいる。
(湯山学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報