寿永(読み)ジュエイ

大辞林 第三版の解説

じゅえい【寿永】

年号(1182.5.27~1184.4.16)。養和の後、元暦の前。安徳・後鳥羽天皇の代。

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日本の元号がわかる事典の解説

じゅえい【寿永】

日本の元号(年号)。平安時代の1182年から1184年まで、安徳(あんとく)天皇の代の元号。前元号は養和(ようわ)。次元号は元暦(げんりゃく)。1182年(養和2)5月27日改元。飢饉、兵革(戦乱)、疾疫などを理由に行われた。同年が陰陽道の「三合厄歳」(三合の厄)にあたることも改元の理由とされる。『詩経(しきょう)』を出典とする命名。源頼朝(よりとも)ら源氏方は、養和年間から引き続き、1183年まで治承(じしょう)の元号を使用した。この頃は、後白河(ごしらかわ)法皇による院政が再開されていた。また、平氏に対する源氏の反攻が勢いを増した(治承・寿永の乱)。1183年(寿永2)5月、源(木曽)義仲(よしなか)が礪波山(となみやま)の戦い(倶利伽羅(くりから)峠の戦い)で平惟盛(これもり)軍に大勝、京に攻め上る勢いを見せたことから、平宗盛(むねもり)ら平家一族は安徳天皇と神器を奉じて7月に都を脱出し西海へ向かった。入京した義仲に対し後白河法皇は平家追討の院宣を下し、8月には法皇の命令で、安徳天皇在位のまま後鳥羽(ごとば)天皇が践祚(せんそ)、両帝が並び立つことになった。11月、平家追討に失敗した義仲は法皇御所(法住寺殿)を急襲し後白河を幽閉、翌年1月に征夷大将軍に就任したのもつかの間、頼朝の命を受けた源範頼(のりより)・源義経(よしつね)の軍勢に敗れ、近江で討ち死にした。その後、範頼・義経勢の平家追討が始まった。

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精選版 日本国語大辞典の解説

じゅえい【寿永】

平安末期、安徳天皇・後鳥羽天皇の代の年号。養和二年(一一八二)五月二七日、兵革、飢饉、病疫の流行により改元。院政後白河法皇の時代。寿永三年(一一八四)四月、元暦と改元された。出典は「詩経‐周頌・載見」に「以介眉寿永言保之、思皇多祐」とあるのによる。

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