倉ヶ崎城跡(読み)くらがさきじようあと

日本歴史地名大系 「倉ヶ崎城跡」の解説

倉ヶ崎城跡
くらがさきじようあと

[現在地名]今市市倉ヶ崎 久保

古大谷こだいや川西岸の毘沙門びしやもん(五一八メートル)から南の茶臼ちやうす(四九六メートル)の峰にある。倉ヶ崎集落からの登山口辺りには大永三年(一五二三)銘の石造地蔵菩薩や寺院跡があり、大門だいもんという地名が残ることから、大桑の法蔵おおくわのほうぞう寺の旧地といわれる。土塁とみられる遺構があり、本丸は茶臼山頂と考えられる。天正五年(一五七七)八月二四日の某官途状写(小田部庄右衛門氏所蔵文書)に「今度蔵賀崎再興之刻」とみえ、当城での保土島筑後守の軍忠が賞されている。また年未詳一〇月九日の壬生義雄書状写(新編会津風土記)では、宇都宮氏が当城を取立てたことが小田原北条氏へと注進され、北条方では「□□日光之間号倉崎地」へ軍勢を発向させたとみられる(天正一七年九月七日「北条氏直書状」潮田文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む