倉吉陣屋跡(読み)くらよしじんやあと

日本歴史地名大系 「倉吉陣屋跡」の解説

倉吉陣屋跡
くらよしじんやあと

[現在地名]倉吉市仲ノ町

打吹うつぶき山の北麓、現在の成徳せいとく小学校敷地にあった鳥取藩着座家倉吉荒尾氏の陣屋。付近一帯は字殿屋敷とのやしきにあたる。荒尾氏は尾張国知多ちた郡の出身で、織田信長の旧臣荒尾善次が娘を池田恒興(信輝ともいう)に嫁がせたことから池田氏の外戚となった。善次の次男成房(米子荒尾氏の祖)と三男隆重はともに恒興の客分に迎えられ、隆重がのちの倉吉荒尾氏の祖となる。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦後に池田輝政(恒興の子)が播磨国姫路城に封ぜられた際、隆重は禄高七千石を与えられ、同八年輝政の子忠継が備前国二八万石を与えられると、成房とともにその家老となった。元和三年(一六一七)隆重の後を受けて家督を継いだ養子の嵩就は志摩守を襲名し、家老職に任じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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