倉梯岡陵(読み)くらはしのおかりよう

日本歴史地名大系 「倉梯岡陵」の解説

倉梯岡陵
くらはしのおかりよう

[現在地名]桜井市大字倉橋

日本書紀」崇峻天皇四年一一月三日条に

<資料は省略されています>

とみえる崇峻天皇陵。「古事記」には「御陵は倉椅の岡の上に在り」、「延喜式」(諸陵寮)には「倉梯岡陵倉梯宮御宇崇峻天皇、在大和国十市郡」とある。天皇が臣下に殺されたことは記録のうえでは未曾有であり、また殯もせずに即日に埋葬されたことも初めてである。

所在地は倉橋くらはしと考えられ、元禄一〇年(一六九七)に倉橋村村役人が奈良奉行所へ提出した「覚」(山陵取締之件)では村内に二つの陵(天王山古墳と金福寺の所在地)があるとしているが、奈良奉行所では天王山てんのうざん古墳を崇峻天皇陵と決定、「大和志」もこれに従っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む