天王山古墳(読み)てんのうざんこふん

日本歴史地名大系 「天王山古墳」の解説

天王山古墳
てんのうざんこふん

[現在地名]桜井市大字倉橋

音羽おとば山西北麓の尾根先端部に築かれた方墳。東西・南北線とほぼ一致した線上に各辺を置き、南北約四二メートル、東西約四五・五メートル、高さ約九メートル。墳丘は三段築成で、やや高い第一段の上に、ほぼ高さの等しい第二・第三段を重ね、上面は一辺約一二メートルの平坦部。葺石・埴輪などの特別の外部施設はみられない。

内部主体は横穴式石室で、玄室は墳丘のほぼ中央に位置し、羨道は南斜面に開口しているが、羨門部の封土はえぐり取られた形に大きく凹んでいる。石室の基底面は深い所に位置し、最下段の封土の面よりまだ低い所に築かれているらしい。玄室は巨大な花崗岩の自然石を基本的には三段に積上げ、その間隙には小石を併用して巧みに上部を持送っている。奥壁は巨石三段、天井は三石で架けられている。奥行約六・四メートル、幅三メートル、高さ四・三メートルと玄室の規模はきわめて大きい。

天王山古墳
てんのうやまこふん

[現在地名]倉敷市玉島八島

もと海中に長く突出した砂洲の中央にある丘上に築造されている。砂洲は古墳の築かれた小丘を結んで海中に弧状に延びていたようであるが、それが古墳の築造当時にすでに形成されていたか否かは明らかでない。いずれにしても、海中に造られた前方後円墳として注目されている特質に変りはない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「天王山古墳」の解説

てんのうざんこふん【天王山古墳】


奈良県桜井市倉橋にある方墳で、別称は崇峻(すしゅん)天皇陵。この古墳は多武峰(とうのみね)から北方に向いて派生する多くの尾根筋のうち、粟原(おうばら)川の左岸に近く、長く延びる尾根の先端を利用して築造されている。赤阪と称せられる丘陵上にあり、東西約45m、南北約42m、高さ約9.4mを有する方形墳で、3段に築成され、墳丘のほぼ中央に南面して横穴式石室がある。石室は羨道(せんどう)と玄室からなり、玄室の中央部やや奥壁側に石棺を備え、凝灰岩で作られた蓋部は家形を呈し、その前後左右に縄掛突起を有し、身部は刳()り抜き式の箱形である。方形墳としてほぼ完全な形で、ことに石室および石棺を備えた古墳時代後期の代表的古墳として学術上の価値は高いとされ、1954年(昭和29)に国の史跡に指定された。なお、この古墳は明治年間まで「崇峻天皇倉梯岡(くらはしのおか)上陵」として取り扱われていた。近畿日本鉄道大阪線ほか桜井駅から奈良交通バス「下尾口」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報