日本歴史地名大系 「金福寺」の解説 金福寺こんぷくじ 京都市:左京区一乗寺村金福寺[現在地名]左京区一乗寺才形町詩仙(しせん)堂の南、瓜生(うりゆう)山北西の山麓に位置。仏日山と号し、臨済宗南禅寺派。本尊聖観音。寺伝によれば九世紀後半の清和天皇の時代、円仁の命による安恵の創建と伝え、天台宗に属した。その後長らく荒廃していたが、貞享年間(一六八四―八八)に近在の臨済宗円光(えんこう)寺の住職鉄舟が再興。以来京都南禅寺の末寺となった(京都府愛宕郡村志)。江戸時代には山桜の名所として知られ(都花月名所)、境内には与謝蕪村によって再興された芭蕉(ばしよう)庵や井伊直弼の妾村山多加女が建立した弁天堂がある。 金福寺きんぷくじ 奈良県:桜井市安倍・多武峯地区倉橋村金福寺[現在地名]桜井市大字倉橋寺(てら)川西岸に所在。柴垣山と号する会所寺。本尊阿弥陀如来。寺地付近は崇峻天皇の倉梯(くらはし)宮・倉梯岡(くらはしのおか)陵に比定されている。本居宣長は「菅笠日記」に「かの寺といひしは、門などもなくて、いとかりそめなる庵になん有ける。猶くはしきこともきかまほしくて、あるじのほうしをとぶらひしかど、なきほど也けり。まへにごまだうとて、かやぶきなるちひさき堂のあるを、さしのぞきて見れば、不動尊のわきに、聖徳太子崇峻天皇とならべ奉りて、かきつけたる物たてり。 金福寺こんぷくじ 熊本県:上益城郡矢部町下名連石村金福寺[現在地名]矢部町下名連石坪の内(つぼのうち)集落の東、五老(ごろう)ヶ滝(たき)川右岸にある。善逝山と号し、天台宗。「国誌」によると開基は釈迦院(現八代郡泉村)開山の弉善と伝え、のち中絶、永禄年間(一五五八―七〇)柏栄が再興したが退転、寛文年間(一六六一―七三)片平の福王(かたひらのふくおう)寺住持円光院が再度興した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by