倉谷鉱山跡(読み)くらたにこうざんあと

日本歴史地名大系 「倉谷鉱山跡」の解説

倉谷鉱山跡
くらたにこうざんあと

[現在地名]金沢市倉谷町

倉谷川上流西岸の山中にある。採鉱は銀を主体としたが、金も幾らか採掘された。近世の倉谷村集落からは南方にあたり、同村百姓新右衛門・八郎右衛門が見立て、文禄三年(一五九四)に採掘が始められたと伝える(改作所旧記)。慶長一七年(一六一二)七月には「倉谷山」に定書が出され、金が出たら報告すべきこと、倉谷村地内重倉しげくら町屋を立て商売すべきことなどが定められている(「万治以前定書」加越能文庫)。慶長期から寛永期(一六二四―四四)にかけてが最盛期で、元和元年(一六一五)には越中礪波となみ城端じようはな(現富山県城端町)の孫右衛門が運上金二三枚で請負って、結局四五枚を上納した例も確認できる(「城端村御印写」川合文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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