改訂新版 世界大百科事典 「倭城」の意味・わかりやすい解説
倭城 (わじょう)
文禄・慶長の役(1592-98)に際して日本軍が朝鮮南部に築城した城郭。日本軍が朝鮮に侵入したとき,日本からの軍需物資を保管し,その補給路を確保する拠点にした城郭で,慶尚・全羅両道の海岸に20数城築き,その多くは遺構を残している。その他,釜山・平壌間の10余のつなぎ城をはじめ,各地に倭城が20数城もあったが,これらは臨時応急のもので,その遺構は知られていない。その配置は釜山城が全体を統轄し,各地の要衝にそれぞれ大名の預かる本城と,これを擁護する端城(支城)とがあった。また,倭城は海岸の船着場を含む外郭部と,背後の小山の上にある内城部とから構成されている。内城部は材料,地形,目的などの相違から若干異なるところもあるが,ほぼ近世の日本城郭と同型で,朝鮮の城郭と著しく異なる。その築城は諸大名が分担し,2000~8000人を動員して約3ヵ月の日時を要した。
執筆者:井上 秀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報