日本歴史地名大系 「健田郷」の解説
健田郷
たけだごう
「和名抄」所載の郷で、高山寺本で太津多、東急本では多介太と訓を付す。平城宮跡出土木簡に「安房国朝夷郡健田郷仲村里戸私部真鳥調鰒六斤三列長四尺五寸束一束 養老六年十月」、平城京(二条大路大溝)跡出土木簡に「安房国朝夷郡健田郷柏原里卜部神調鰒六斤為壱籠五列長三尺 天平五年十月」とあり、郷里制下の当郷に仲村里・柏原里があり、私部真鳥・卜部神が調鰒を貢納していた。また安房国が上総国に併合されていた天平一七年(七四五)の紀年銘のある平城宮跡出土木簡に「上総朝夷郡健田郷戸主額田部小君戸口矢作部林調鰒六斤□□
健田郷
たけだごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報