傘を製作・販売する職人。傘はからかさ(唐傘)ともいい、雨や雪や強い日を避けるための日常用具であったため、16世紀の室町後期には、その需要に応じた専門職人として傘張(かさはり)が誕生していた。細い割竹を骨とし木製のろくろを使って骨組に紙や絹を張って柄(え)をつけたもので、骨の数は50本が普通であった。雨天のときの雨傘は紙に油を引いた。17世紀の江戸前期には開閉が自由なようにくふうされた。居職(いじょく)としての傘屋が京都・大坂にでき、生産と販売をしていた。番傘という貸し傘もつくられた。18世紀の江戸中期には、江戸そのほかの城下町にも傘屋が生まれ、庶民の需要に応じてきた。しかし、江戸では上方(かみがた)風の上方からの下り傘が依然として好まれ、数多くの下り傘問屋が取引していた。販売だけの小売傘屋もできてきた。また、破れた傘を買い集める古骨買いも現れ、傘屋で再生された。近代になってから、洋傘が使われるようになり、いわゆる和傘の需要は減ってきた。
[遠藤元男]