儀俄中村(読み)ぎかなかむら

日本歴史地名大系 「儀俄中村」の解説

儀俄中村
ぎかなかむら

[現在地名]水口町嶬峨ぎか

野洲やす川左岸に位置し、北対岸は新城しんじよう村。南は佐山さやま丘陵に続く。中世は儀俄庄のうち。慶長五年(一六〇〇)幕府領と旗本美濃部領、天和二年(一六八二)幕府領が水口藩領となり幕末に至った。寛永石高帳では高七四四石余、うち五一六石余が幕府領、慶安二年書上では田四四七石余・畑屋敷四二石余・永荒川欠二五四石余。明治一二年(一八七九)儀俄上田ぎかうえだ村と合併し嶬峨村となった。堂畷どうなわての丘陵中腹には天台宗千光せんこう寺がある。川枯かわがれ寺ともよばれ、寺伝によれば天平二一年(七四九)行基の開基橘諸兄造営という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む