元伏見坂町
もとふしみさかまち
[現在地名]南区千日前一丁目
道頓堀吉左衛門町の南、日本橋一丁目・同二丁目の境から西に延びる両側町。「天保町鑑」には「道とんぼり南へ三すぢ目、茶や町日本ばし通少し西より千日前通まで」と記され、千日前通は浄土宗の法善寺・竹林寺前東側の通り。当町は元来山城伏見にあった町で坂町といったが、元和五年(一六一九)大坂繁盛策の一環として玉造(現東区)に移転させられた。玉造では伏見坂町と称し北組に属したが、猫間川に近い水場の地域で、結局元禄一六年(一七〇三)難波村・西高津村のうちに移転し(東区の→古屋敷地)、町名も元伏見坂町となった(「伏見坂町一件」成舞家文書)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年三郷水帳寄帳では屋敷数二七・役数二六役で、うち年寄分一役が無役。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 