日本歴史地名大系 「元重村」の解説 元重村もとしげむら 大分県:宇佐市旧四日市町地区元重村[現在地名]宇佐市上元重(かみもとしげ)・下元重(しももとしげ)山下(やました)村の南、伊呂波(いろは)川中流域にあり、南は末(すえ)村、東は四日市村、西は赤尾(あかお)村。中世は横山(よこやま)浦の内で、同浦元重名の遺称地。天正一五年(一五八七)九月二七日の横山谷内元重村検地帳写(元重家文書)によると高三五六石余・反別六〇町八反余、斗代は平均で五斗九升と低い。百姓筆数一一七、うち屋敷持四〇・無屋敷七七。一町歩以上の高持は一七人、三反未満は七〇人。最大の高持百姓である元重安芸が三六石余・六町歩余、これに次ぐ兵部が高三〇石余・四町七反余の田畑をもつ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by