日本歴史地名大系 「光了寺」の解説 光了寺こうりようじ 茨城県:古河市中田町光了寺[現在地名]古河市中田旧国道四号に面して所在。旧地は利根川橋下の河川敷であった。巌松山聖徳院と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。「古河志」の引く寺記、「和漢三才図会」によれば、もと天台宗で高柳(たかやなぎ)村(現埼玉県北葛飾郡栗橋町)にあって高柳(こうりゆう)寺と称したが、建保年中(一二一三―一九)に親鸞が来寺したとき、住職興悦(一説に円崇)がその弟子となって、名を願西、寺号を光了寺に改めた。その後五世感悦のとき、高柳城主に従って栗橋(くりはし)(現栗橋町)に移り、六世悦信のとき、さらに中田(なかだ)に移ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by