光明城跡(読み)こうみようじようあと

日本歴史地名大系 「光明城跡」の解説

光明城跡
こうみようじようあと

[現在地名]天竜市山東 光明山

光明山(五三九・七メートル)の山頂部の南側に築かれた戦国時代の山城。もとあった光明寺を移転させて築城した。「遠江国風土記伝」によれば享禄年間(一五二八―三二)今川家臣朝比奈時茂が築城したとする。この時期、北遠地方では犬居いぬい(現春野町)城主天野氏が今川氏に背いており、今川方による築城の可能性は否定できない(天竜市史)。元亀四年(一五七三)八月一三日の武田勝頼判物写(土佐国蠧簡集残篇)によれば、勝頼は松井宗恒に本領を安堵し、「光明之番」、すなわち光明城の在番役を命じており、今川氏滅亡後は武田方の城であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android