改訂新版 世界大百科事典 「光明皇后願経」の意味・わかりやすい解説
光明皇后願経 (こうみょうこうごうがんきょう)
光明皇后が発願,写経させた一切経(大蔵経)で,天平12年(740)5月1日経,天平15年(743)5月11日経,天平宝字4年(760)正月11日発願の坤宮官一切経の3種が知られる。特にこのうちの天平12年5月1日の皇后の願文を持つ一切経を《光明皇后願経》と呼ぶことが多く,また《天平十二年経》あるいは《五月一日経》と呼ぶこともある。この一切経は,玄昉(げんぼう)が唐からもたらした経論を底本にして,736年に写経が始められた。当初は《開元釈教録》による一切経5048巻の書写を目標としたが,742年4561巻まで書写した後,方針を改めて《開元釈教録》に含まれない章,疏,伝をも加えて書写を続け,底本の入手に悩みつつ756年ころまでに総巻数約7000巻を写して事業が打ち切られた。3回の校正を加えるなど字句の正確さ,文字の美しさの点で高く評価されている。
執筆者:栗原 治夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報