光立寺村(読み)こうりゆうじむら

日本歴史地名大系 「光立寺村」の解説

光立寺村
こうりゆうじむら

[現在地名]大淀区中津(なかつ)一―七丁目・大淀北(おおよどきた)一丁目など

本庄(ほんじよう)村の西、中津川南岸にある。村域東部を能勢(のせ)街道(池田道)が南北に通り、中央を大坂より十三(じゆうそう)渡に至る西国街道に通じる道がある。能勢街道沿いの村域南東部に光立寺、同じく中津川南岸に城、十三への道沿いに新家の各集落があり、寛文九年(一六六九)の古地図では中津川沿いの城の西方に外島がみえる。城には三好党の光隆寺(こうりゆうじ)城があったと伝え、摂津国各村草高帳に「慶長十九年マデ小城アリ」と記す(中津町史)。

慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図では「光竜寺・城村」とみえ高四九三石余。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では五〇九石余。延宝五年(一六七七)検地では高七〇三石余・反別五八町五反余、うち田方は六二八石余・五一町余と多く、それも上々田・上田が半分弱を占める水田の村である(中津町史)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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