日本歴史地名大系 「大淀区」の解説 大淀区おおよどく 大阪府:大阪市大淀区面積:四・五一平方キロ大阪市の北部にあり、北は新淀川を挟んで淀川区と東淀川区、東は淀川(大川)で都島(みやこじま)区と境し、南は北区、南西は福島区と接する。南の区境に国鉄大阪駅・梅田貨物駅、阪急・阪神の梅田駅が近接し、東海道本線ほか各線が当区を通って新淀川を渡る。同川には東淀川区との間に長柄(ながら)橋、淀川区との間に新淀川大橋・十三(じゆうそう)大橋・新十三大橋が架かり、新淀川大橋を国道四二三号、十三大橋を同一七六号が通る。大淀区は昭和一八年(一九四三)の成立。〔原始・古代〕弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、河内湖の水は吹田(すいた)砂堆と天満(てんま)砂堆との間を現在の神崎川沿いの水路で大阪湾に流入していた。区域南西部の鷺洲(さぎす)遺跡からは独木舟が出土し、長柄橋南西の長柄古墳からは家形埴輪が出土している。古代より一貫して西成(にしなり)郡に属したが、「和名抄」に載る郷で区域に比定されるものはない。当区にあったと伝える孝徳天皇の長柄豊碕(ながらとよさき)宮については東区の難波(なにわ)宮跡にあてる説が有力で、この伝承は信じがたいが、新淀川と淀川の分岐点辺りは、「住吉大社神代記」にみえる「長柄船瀬」の遺称地といわれる。「行基年譜」や「日本後紀」などには長柄橋がみえ、新淀川として改修される以前の中津川は長柄川と称されていたという。摂津国分寺と伝える国分寺のほか、行基の開基と伝える源光(げんこう)寺があり、空海開創と伝える大日(だいにち)寺があった。〔中世〕平安時代末期から鎌倉時代にかけて区域には皇室領富島(とみしま)庄・中津(なかつ)庄、四天王寺(現天王寺区)領鷺島(さぎしま)庄などがあった。寛正二年(一四六一)一二月二六日の中島崇禅寺領目録(崇禅寺文書)には、大仁(だいに)村、「渡辺国分寺」などがみえる。戦国期には、度々戦乱のちまたとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報