じゅう‐さんジフ‥【十三】
- 〘 名詞 〙
- ① 数の名。一〇に三を加えた数。
- ② 一三歳。
- [初出の実例]「十三加二元服一。祖父在二其筵一」(出典:江吏部集(1010‐11頃)中・述懐古調詩一百韻)
- ③ ( 一三弦であるところから ) 琴の異称。十三弦。
- [初出の実例]「十三は座り三味線転ぶなり」(出典:雑俳・柳多留‐二三(1789))
- ④ 「じゅうさんや(十三夜)」の略。
- [初出の実例]「十五にも居ぬと十三にも居ない」(出典:雑俳・柳多留‐七(1772))
- ⑤ ( 九四(くし)の数字の合計が一三であるところから ) 櫛をいう。〔日本隠語集(1892)〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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十三
じゅうそう
大阪市淀川区(よどがわく)にある繁華街地区。新淀川右岸にあり、かつては渡しがあった。1910年(明治43)箕面(みのお)有馬鉄道(現、阪急電鉄宝塚線)が開通、さらに阪急電鉄神戸線、同京都線が通じ、その分岐点として発展した。駅前は第二次世界大戦後の復興計画により、飲食店、娯楽場が増加し盛り場的性格を帯びた。周辺には製薬、染色・メリヤス関係の工場などがある。国道176号と同十三バイパスが通じる。新淀川べりには淀川河川公園があり、高層マンションが増加している。
[樋口節夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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十三
じゅうそう
大阪市淀川区南部中央,淀川右岸の一地区。一説には,いまは埋立てられた中津川に「十三の渡 (わたし) 」があり,その渡津の地。 1910年,箕面有馬 (みのおありま) 電気軌道 (現阪急電鉄) が開通,のち同電鉄宝塚線,神戸線,京都線の分岐点となり,大阪北部の交通の中心地となった。それに伴い十三駅付近には商店街が発達,特に第2次世界大戦後は急速に発展,大阪北部の一大繁華街をなす。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の十三の言及
【市浦[村]】より
…津軽半島北西部にあり,西は日本海に臨む。南部は十三湖(じゆうさんこ)が占め,北部は津軽山地北部にあたる山地からなる。[十三湖]の湖口にあたる十三は,中世には[十三湊](とさみなと)と呼ばれ,豪族安東氏の拠点として栄えた。…
【十三湖】より
…冬季には白鳥が飛来する。湖口には59年に十三橋が架けられたが,79年に十三湖大橋に架けかえられた。また湖口の十三(じゆうさん)は,かつて三津七湊の一つに数えられ米や木材の積出しでにぎわった[十三湊](とさみなと)である。…
※「十三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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