日本歴史地名大系 「光養寺」の解説 光養寺こうようじ 大阪府:東大阪市旧枚岡市地区芝村光養寺[現在地名]東大阪市中石切町二丁目浄土真宗本願寺派、山号法通山、本尊阿弥陀如来。伝えによると、明応年間(一四九二―一五〇一)蓮如が当地方を巡化の際、衰退していた法通(ほうつう)寺を念仏道場として再興、その寺号を山号としたのに始まるという。江戸時代には五条(ごじよう)村の専宗(せんしゆう)寺とともに宗判寺で、芝(しば)村の宝永二年(一七〇五)の明細帳(岩崎康子家文書)によれば京都六条西光寺末。寺宝の蓮如絵像は寛政九年(一七九七)下付された。法通寺は聖徳太子創建の七堂伽藍完備の法相宗寺院と伝え、源平の争乱の際堂宇は焼亡したが、のち芝山を開き一庵を営み、本尊の釈迦坐像を安置したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by