入間鑪跡(読み)いるまたたらあと

日本歴史地名大系 「入間鑪跡」の解説

入間鑪跡
いるまたたらあと

[現在地名]掛合町入間

入間の貝崎かいざき(現入間小学校校庭北側から入間郵便局付近)に置かれ、宮の前みやのまえ鑪ともよばれた。設置者は入間村田部甚左衛門で、寛政六年(一七九四)広瀬藩に願出て、翌七年から文政八年(一八二五)まで営業した。経営者は前記の甚左衛門、支配人は潮兵九郎であった(同文書)。現在の宮崎みやざき集落はこの頃できた山内集落から発展したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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