全国進歩党(読み)ぜんこくしんぽとう[カナダ]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「全国進歩党」の意味・わかりやすい解説

全国進歩党[カナダ]
ぜんこくしんぽとう[カナダ]
National Progressive Party

1920年2月,T.A.クレラーを中心に,高関税政策に反対する 11名の議員が自由党を脱退して結成した政党母体は 18年に「新ナショナル・ポリシー」として低関税政策,公益事業の公有化,民主主義的政治改革を求めた農民の全国的組合,カナダ農業評議会にあった。 21年の総選挙では 64名の議員を連邦議会へ送り込み,50名の保守党を押えて野党筆頭に立ったが,22年 11月には党首がクレラーから R.フォーク変り,党内も急進派穏健派に分裂して,党勢は徐々に衰退していった。特にフォークが W. L. M.キング内閣に入閣して以来,進歩党は党首をもたず,穏健派は自由党へ,急進派は協同連邦党へ吸収されて,消滅した。

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世界大百科事典(旧版)内の全国進歩党の言及

【カナダ】より

…前者はカナダ農業評議会を通じて18年〈新ナショナル・ポリシー〉を発表し,大英帝国内におけるカナダの自立と国際平和機構の遵守,自由貿易などの要求を明らかにし,後者は19年の初夏に発生したウィニペグ・ストライキで最高潮に達する動きをみせた。21年の連邦総選挙で第二党の位置を占めた全国進歩党は,この両者を代表した形で勢力を伸張したが,20年代の自由党はマッケンジー・キングの指導の下に政策の先取りをした形で全国進歩党の地盤を切り崩し,カナダにおける〈改革の時代〉は短命に終わっている。 21年から48年までの間,中断はあったものの首相を務めたマッケンジー・キングは,自由主義圏における政権維持の記録保持者とされる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」