八丁堀二丁目遺跡(読み)はつちようぼりにちようめいせき

日本歴史地名大系 「八丁堀二丁目遺跡」の解説

八丁堀二丁目遺跡
はつちようぼりにちようめいせき

[現在地名]中央区八丁堀二丁目

亀島かめじま川西岸の低地に立地し、昭和六三年(一九八八)約三八〇平方メートルが発掘調査された。土地の沿革を勘案すれば、八丁堀の埋立地造成後複数回の盛土が行われたと想定されるものの、上層と下層とされる文化層が調査されたにすぎない。上層は享保(一七一六―三六)頃から幕末まで続く八丁堀北紺屋はつちようぼりきたこんや町および八丁堀卓峯はつちようぼりたくほう屋敷、これら町地に沿った道路に該当するものであるが、北紺屋町および卓峯屋敷の境界となる遺構は確認されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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