日本歴史地名大系 「八丁山」の解説
八丁山
はつちようやま
由良川の源流八丁川辺りの山。古くは八町山とも記し、
鎌倉末期から六〇〇年近く弓削と知井の間で、境界についての山論が続いたが、その最古のものは徳治二年(一三〇七)一〇月臨時課役として材木貢納を命じられた時である。当時弓削下村は工人二六人、知伊(井)村は二〇人、知伊村
者相
当六分一
之間可
致
其沙汰
」と裁決を下している(「八丁山山論文書」上弓削共有文書。以下同文書による)。応安元年(一三六八)にもまた争いが起こり、「智伊村者、為弓削加納六分一、致其沙汰条先例也」と同じような裁決が下るが、六分の一では山の境界は不明確だとして、その後もしばしば争われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報