日本歴史地名大系 「弓削庄」の解説
弓削庄
ゆげのしよう
弓削庄
ゆげのしよう
「和名抄」久米郡弓削郷の郷名を継ぐものか。上弓削・下弓削を遺称地とし、史料上に
平安末期には池大納言家領であった。源平争乱の結果、没官されて源頼朝に与えられた。しかし故池禅尼の恩徳に報いるため、頼朝はもとのごとく池大納言家領として平頼盛の知行を認めた(寿永三年四月五日「源頼朝下文案」久我家文書)。文治二年(一一八六)二月には兵粮米徴収が停止されている(「吾妻鏡」同月二一日条)。正嘉元年(一二五七)九月一七日の三条局譲状案(久我家文書)に「ゆけの庄」預所がみえ、文永二年(一二六五)閏四月二九日の関東御教書(同文書)によって安堵されている。
弓削庄
ゆげのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報