八尋俊邦(読み)ヤヒロ トシクニ

20世紀日本人名事典 「八尋俊邦」の解説

八尋 俊邦
ヤヒロ トシクニ

昭和・平成期の経営者 元・三井物産社長。



生年
大正4(1915)年2月1日

没年
平成13(2001)年10月27日

出生地
東京

出身地
福岡県久留米市

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和15年〕卒

主な受賞名〔年〕
デンマーク国勲一等騎士十字章〔昭和56年〕,ブルガリア国マダルスキー・コニック(マダラの騎士一等勲章)〔昭和60年〕,エンリケ航海王大十字章(ポルトガル)〔昭和61年〕,ポーランド人民共和国功労十字章〔昭和62年〕,勲一等瑞宝章〔昭和62年〕

経歴
学生時代は医者志望だったが、昭和15年旧三井物産に入社。ゴムの買い付けを担当し、16〜21年ベトナム・サイゴン(現・ホーチミン)勤務。22年解体を経て、24年旧三井の流れを引く第一物産に入社。34年新生三井物産課長となり、46年化学品総括部長、47年取締役、49年常務、51年専務、52年副社長、54年社長に就任。60年6月会長、平成2年相談役、12年顧問に退いた。この間、昭和51年から3年間イラン化学開発社長も兼ね、イラン・イラク戦争の影響で経営難に陥ったイラン・ジャパン石油化学(IJPC)事業の収拾策を推進。54年からの物産社長在任6年間もIJPCの再構築に取り組み、58年工事を再開したが、会長時代の平成元年同事業の中止を決め、清算した。昭和61年〜平成4年経団連副会長、ソ連東欧貿易会(現・ロシア東欧貿易会)会長、日本ポーランド経済委員会委員長、世界平和研究所理事長を歴任。また大の野球好きで日本リトルリーグ野球協会会長を務めた。著書に「ネアカ経営論」や自伝「ネアカのびのび」がある。愛称“ヤッチャン”。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八尋俊邦」の解説

八尋俊邦 やひろ-としくに

1915-2001 昭和後期-平成時代の経営者。
大正4年2月1日生まれ。昭和15年三井物産に入社。戦後の物産解体で第一物産(現三井物産)にうつる。石油化学部門を担当し,業績をのばす。54年社長となる。60年会長。イラン石油化学事業にふかくかかわった。経団連副会長もつとめた。平成13年10月27日死去。86歳。東京出身。東京商大(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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