日本歴史地名大系 「八山田村」の解説 八山田村やつやまだむら 福島県:郡山市旧富久山町地区八山田村[現在地名]郡山市富久山町八山田(ふくやままちやつやまだ)福原(ふくはら)村の西、北を藤田(ふじた)川、南を逢瀬(おうせ)川に挟まれた平地に立地。古くは道筋が八筋に分れていたことから八俣(やつまた)と称したという(相生集)。永享一一年(一四三九)頃のものと推定される安積三郷田地注文(相殿八幡文書)に、中郷のうちとして「八俣 四丁」とみえる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に八山田とみえ、高五二四石余、林翁ほか一名の知行地。二本松藩領では初め片平組、のち郡山組に属した。二本松藩の新田開発政策により灌漑のため明暦元年(一六五五)当寺(とうじ)たけ池、万治三年(一六六〇)下伊豆(しもいず)堰(富田村と共有)、延宝五年(一六七七)かつ木沢(きざわ)池、貞享四年(一六八七)かうや池、同五年牛(うし)ヶ池・大井(おおい)池、元禄六年(一六九三)さる田(た)池が開削された(元禄一四年「郡山組池堰帳」福島県史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報