八幡郷(読み)やわたごう

日本歴史地名大系 「八幡郷」の解説

八幡郷
やわたごう

笛吹川右岸で、支流川・おと川流域に比定される中世の郷。窪八幡くぼやわたとも記される。豊前宇佐宮を笛吹川の中洲大井俣おおいまたに勧請し大井俣神社と称したが、のちに窪の地に移したため宮を窪八幡神社といい、所在地を窪八幡(八幡)郷とよぶようになったという(甲斐国志)。八幡庄内の西部に相当する。同社別当の上之かみの坊と称された八幡山普賢ふげん寺の住僧の記録「王代記」に、建治元年(一二七五)以降散見する八幡・八幡山は寺の山号とも取れるが、「一蓮寺過去帳」に載る長禄二年(一四五八)頃の「八幡宮内少輔殿」、延徳四年(一四九二)一二月二八日の「八幡飯富内」、永正元年(一五〇四)三月二日の「八幡道真内」、同四年八月一〇日の「八幡原藤さ衛門」などの八幡は当地をさすと考えられ、大永二年(一五二二)永昌えいしよう院の菊隠瑞潭から道宗の諱を与えられた幡野中務少輔も当郷に居住していた(菊隠録)。また天文二〇年(一五五一)四月一四日の武田晴信印判状写(「士籍編入願に添付せる古文書一覧」若尾資料)によると、鶴田次郎右衛門は八幡荒間の内で五貫文を与えられ、同年七月五日には窪河宮内丞が「八幡之郷荒□之内」で八貫五〇〇文の在所を与えられている(「武田晴信印判状写」甲州古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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