朝日日本歴史人物事典 「八文字自笑」の解説
八文字自笑(初代)
生年:生年不詳
江戸時代の書肆,浮世草子作者。安藤氏。通称は八文字屋八左衛門。八文字屋は慶安(1648~52)ごろ,京都で古浄瑠璃の正本屋として開業。その2代目(3代目とも)が初代自笑である。自笑は元禄(1688~1704)初めに家業を継いだと思われるが,間もなく始めた絵入狂言本の刊行により家業を大いに伸展させ,他店をリードするに至る。浄瑠璃を執筆していた江島其磧に依頼して,元禄12(1699)年に役者評判記『役者口三味線』を出版。これが当たって,その様式は明治に至るまで評判記の定型となり,八文字屋は役者評判記を金看板として長く出版し続けた。また,2年後にはその成功に乗じて其磧に浮世草子を執筆させ,『けいせい色三味線』を刊行。其磧が無署名で著述するため,宝永5,6(1708,09)年ごろからは,其磧の著作に「八文字自笑」と,作者として署名するようになる。同7年に其磧が書肆江島屋を開業するころから其磧と確執を生じ,其磧はこれまでの作品は自作であると主張。一方,八文字屋では代わりの代作者未練などを得て争うが,享保4(1719)年には其磧と連名で和解を宣言。以後の作品には連名で作者を名乗った。元文1(1736)年に其磧が没したのちは,多田南嶺を代作者に迎えている。自笑は作者としてどの程度かかわったかは疑問だが,その商才で浮世草子に「八文字屋本」時代を築いた。
(樫澤葉子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報