八文字自笑(読み)はちもんじ・じしょう

朝日日本歴史人物事典 「八文字自笑」の解説

八文字自笑(初代)

没年延享2.11.11(1745.12.3)
生年:生年不詳
江戸時代書肆,浮世草子作者。安藤氏。通称八文字屋八左衛門。八文字屋は慶安(1648~52)ごろ,京都で古浄瑠璃の正本屋として開業。その2代目(3代目とも)が初代自笑である。自笑は元禄(1688~1704)初めに家業を継いだと思われるが,間もなく始めた絵入狂言本の刊行により家業を大いに伸展させ,他店をリードするに至る。浄瑠璃を執筆していた江島其磧に依頼して,元禄12(1699)年に役者評判記『役者口三味線』を出版。これが当たって,その様式は明治に至るまで評判記の定型となり,八文字屋は役者評判記を金看板として長く出版し続けた。また,2年後にはその成功に乗じて其磧に浮世草子を執筆させ,『けいせい色三味線』を刊行。其磧が無署名で著述するため,宝永5,6(1708,09)年ごろからは,其磧の著作に「八文字自笑」と,作者として署名するようになる。同7年に其磧が書肆江島屋を開業するころから其磧と確執を生じ,其磧はこれまでの作品は自作であると主張。一方,八文字屋では代わりの代作者未練などを得て争うが,享保4(1719)年には其磧と連名和解宣言以後の作品には連名で作者を名乗った。元文1(1736)年に其磧が没したのちは,多田南嶺を代作者に迎えている。自笑は作者としてどの程度かかわったかは疑問だが,その商才で浮世草子に「八文字屋本」時代を築いた。

(樫澤葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八文字自笑」の意味・わかりやすい解説

八文字自笑
はちもんじじしょう
(?―1745)

江戸中期の京都の本屋。安藤氏。本屋の主人としては八文字屋八左衛門と称し、八文字自笑(八文字屋自笑とするは誤り)は筆名。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃(じょうるり)本屋で、自笑はその2代目であるが、六角通麩屋町(ろっかくどおりふやまち)下ル(現在旧跡に碑が立つ)に店を構え、絵入(えいり)狂言本、役者評判記、浮世草子刊行と業務を拡張し、江島其磧(えじまきせき)を作者として、評判記は99年(元禄12)の『役者口三味線(くちじゃみせん)』、浮世草子は1701年の『けいせい色(いろ)三味線』を最初に、其磧の才筆と自笑の商才により他の本屋を圧倒した。評判記は其磧の始めた形式が幕末まで踏襲され、浮世草子は其磧や多田南嶺(ただなんれい)などの作者をうまく使い、孫の代まで約70年間上方(かみがた)の出版界をリードし、八文字屋本の称を残した。延享(えんきょう)2年11月11日没。享年80余歳。墓碑は京都市下京区富小路五条下ル道知院に現存。なお自笑号は、俳諧(はいかい)をたしなみ小説などの作もある2人の孫に継がれた。

[長谷川強]

『野間光辰校注『日本古典文学大系 91 浮世草子集』(1966・岩波書店)』『長谷川強著『浮世草子の研究』(1969・桜楓社)』


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世界大百科事典(旧版)内の八文字自笑の言及

【八文字屋八左衛門】より

…安藤氏。筆名八文字自笑(じしよう)。八文字屋は1650年(慶安3)前後開業の浄瑠璃本屋で,代々八左衛門を称し,自笑はその2代目。…

※「八文字自笑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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