八条村・阿部田村(読み)はつちようむら・あべたむら

日本歴史地名大系 「八条村・阿部田村」の解説

八条村・阿部田村
はつちようむら・あべたむら

[現在地名]田原本町大字千代ちしろ

みやもり村の東に位置。八条村の村名は、延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳にある八条北庄・同南庄が城下しきのしも郡路東一八条から十市郡路東一九条の条里にあたることから、十を略したものと思われる。

慶長郷帳の村高は一五七五・七六石で豊臣家の家臣大野治長領。大坂落城で幕府領(代官角南主馬)に編入された。元和郷帳では、阿部田村が分れ、村高八九五・七三五石となる。元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領、延宝七年(一六七九)以降幕府領となる。阿部田村は元和郷帳に初見し、村高六八〇石。支配の変遷は八条村と同じである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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