八条院三位局(読み)はちじょういんのさんみのつぼね

朝日日本歴史人物事典 「八条院三位局」の解説

八条院三位局

没年建保6.3.30(1218.4.26)
生年:生年不詳
鎌倉初期の朝廷女房。八条院に仕えて「無双の寵臣」と称された。高階盛章の娘。後白河天皇の皇子以仁王が八条院の猶子となっていたことから以仁王との間に王子道性や三条姫宮などをもうけたため,平氏追及にあって王子らの身柄を拘束されることになったが,八条院の庇護により助かる。その後,九条兼実が姉の皇嘉門院の死により庇護者を失ったことで八条院に接近してくると,兼実との間に良輔をもうけ,良輔もまた八条院の猶子となって庇護を受けた。<参考文献>五味文彦『平家物語,史と説話

(五味文彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八条院三位局」の解説

八条院三位局 はちじょういんの-さんみのつぼね

?-1218 鎌倉時代女官
高階(たかしなの)盛章の娘。鳥羽(とば)天皇の皇女八条院につかえ,寵愛(ちょうあい)される。八条院の猶子で後白河天皇の皇子以仁(もちひと)王との間に道性(どうしょう)と三条姫宮を生む。のち関白九条兼実(かねざね)との間に九条良輔(よしすけ)をもうけた。建保(けんぽ)6年3月30日死去。

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