イギリスの音楽学者、作曲家。ロンドン生まれ。ロンドン王立音楽院でチェンバロ、作曲を学び、卒業後ロンドン大学キングズ・カレッジでサーストン・ダートThurston Dart(1921―1971)に音楽理論を学ぶ。1974年に著書『実験音楽――ケージとその後』Experimental Music ; Cage and Beyondを出版、日本でも翻訳された。ナイマンは、1960年代、国際的なモダニズムの風潮を嫌い、1964年に一時作曲することを中断、音楽学者として仕事をすることを好んだ。このころの仕事としては、ルーマニア民謡の採譜やパーセル、ヘンデルの楽譜校訂などの業績がある。また『スペクテイター』Spectator誌など、いくつかの雑誌で批評も書いている。1968年、同誌に実験音楽の先駆者で作曲家のコーネリアス・カーデューCornelius Cardew(1936―1981)についての記事を執筆。このなかでナイマンは、「ミニマリズム」ということばを使っているが、このことばを音楽に対して用いたのはナイマンが初めてであった。
1968年、スティーブ・ライヒの『カム・アウト』(1966)をBBC放送で聴き、これをきっかけにふたたびナイマンは作曲を始める。同年ナイマンは、ハリソン・バートウィスルSir Harrison Birtwistle(1934―2022)の『ドラマティック・田園曲』のため歌劇台本『ダウン・バイ・ザ・グリーンウッド』を書く。その後、イギリス、ナショナル・シアターの音楽監督でもあるバートウィスルは、1976年制作の『カンピエロ』のために18世紀ベネチアの歌曲のアレンジをナイマンに依頼する。ナイマンはレベック(中世の弦楽器)や、サックバット(トロンボーンのような楽器)、ショーム(オーボエの前身楽器)、バス・ドラム、サックスなどを集めてカンピエロ・バンドをつくる。上演終了後もナイマンはこのバンドを解散せず、彼自身のピアノとあわせるようになる。その後、モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』の16小節をモチーフに用いた『イン・リ・ドン・ジョバンニ』(1977)などをこのバンドのために作曲し、バンドの名前をマイケル・ナイマン・バンドに変更。以降、自作を演奏するバンドとなり、このバンドの、力強いメロディ・ラインの演奏や歯切れよいリズム、ベース・ラインなどが、ナイマン独特の作曲スタイルを代表するものとなった。
1976年、ブライアン・イーノがプロデュースしたオブスキュア・レーベルからリリースされた『ディケイ・ミュージック』でナイマンの作曲した音楽が発表されて以来、彼の音楽はイギリス以外にも広がって、その名を一躍知られるようになり、自らのバンド以外にもオーケストラ、ア・カペラ・コーラス、弦楽四重奏のために多くの曲を書いている。1989年「フランス革命を祝うフェスティバル」での作曲、アビニョン演劇祭での舞台『テンペスト』の音楽担当が話題をよんだ。
またナイマンは、1976~1991年、ピーター・グリーナウェイPeter Greenaway(1942― )監督の『英国式庭園殺人事件』(1982)、『ZOO』(1985)、『数に溺(おぼ)れて』(1988)、『コックと泥棒その妻と愛人』(1989)、『ベイビー・オブ・マコン』(1993)など多くの映画音楽を手がけ、これによりナイマンの音楽はさらに広く知られる。そのほかの映画音楽作品にはジェーン・カンピオン監督『ピアノ・レッスン』(1992。カンヌ国際映画祭グランプリ)、フォルカー・シュレンドルフ監督『魔王』(1996)、ニール・ジョーダンNeil Jordan(1950― )監督『ことの終わり』(1999)などがある。また山本耀司(ようじ)(1943― )のファッション・ショーのために曲を創作するなど活動は多岐にわたる。
そのほかの代表的アルバムには『ワンダーランド』Wonderland(2000)、『ザ・クレイム』The Claim(2001)、『フィルム・ミュージック~ベスト・オブ・マイケル・ナイマン』(2002)、DVD『短編傑作集 水の協奏曲』(2001)などがある。
[小沼純一]
『椎名亮輔訳『実験音楽――ケージとその後』(1992・水声社)』
10~13世紀に、アルタイ山脈を中心とする地域に遊牧したトルコ系部族。中国人は乃蛮などと表記した。1204年、チンギス・ハンの攻撃を受け、族長タヤン・ハンが死に、チンギス・ハンに服属した。彼の子クチュルクは西走してカラ・キタイを支配したが、1218年モンゴル軍に殺されてその国も滅亡し、のちオゴタイ・ハン国の領土となった。チンギス・ハンは、ナイマンに仕えていたウイグル人からウイグル文字を採用し、それからモンゴル文字ができた。
[護 雅夫]
10,11世紀から13世紀初めにかけて,アルタイ山脈からイルティシ川に及ぶ地に住んでいた遊牧部族または遊牧国家の名。トルキスタンのウイグルから文字その他の文化を受容し,また少なくともその支配者層はネストリウス派キリスト教を信じており,その東方のケレイトと並ぶ開明的で強力な部族であった。1204年チンギス・ハーンに討滅されたが,その際その文字や国制はモンゴルに影響を与えた。またこのとき同部の王子クチュルクは西遼(カラキタイ)にのがれ,のち西遼国を奪ったが,18年にモンゴル帝国の討滅軍によって捕殺された。
執筆者:吉田 順一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
10~13世紀に,アルタイ山脈からイルティシュ川にかけて遊牧していたトルコ系部族。王国を形成し,ネストリウス派キリスト教を信奉し,文字を使用した。1204年タヤン・カンはチンギス・カンの攻撃を受けて殺され,ナイマン王国は滅んだ。ナイマン王国の印章を管理していたタタ・トンガは捕虜となり,文書行政と印章の使用をモンゴル帝国に伝えた。王子クチュルクは,中央アジアに逃れ西遼を乗っ取るが,18年チンギス・カンの派遣した討伐軍に殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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