穴内村(読み)あなないむら

日本歴史地名大系 「穴内村」の解説

穴内村
あなないむら

[現在地名]土佐山田町上穴内かみあなない

樫谷かしのたに村の西、穴内川上流に位置する山村で、集落はその両岸に点在する。北には国見くにみ(一〇八九・一メートル)がそびえる。集落の南方から土佐街道(北街道)が村域に入り、穴内川支流の谷を北西に遡上して国見山の西方、現赤荒あかあれ峠の東を越えて本山もとやま(現長岡郡本山町)へ至る。長岡郡に属し、古くは本山(現本山町など)南西の地であったが、江戸時代は上倉あげくら郷に含まれた。


穴内村
あなないむら

[現在地名]安芸市穴内

安喜浜あきはま村の西方に位置し、東西に低い台地が続き、台地の東は妙見みようけん(四四八メートル)に連なる。南は土佐湾に面し、集落は台地上と海岸沿いにある。西は八流やながれ坂で八流村に接する。村内を東西に土佐街道(東街道)が通る。和食わじき(現安芸郡芸西村)の枝郷とされた。

戦国時代、安芸一帯を支配していた安芸氏は、西部から進攻して来る敵に備えて幾重にも出城を築いたが、穴内にも新庄しんじよう城・穴内城を置いた。


穴内村
あなないむら

[現在地名]大豊町穴内

吉野川に穴内川が合流する付近にある山村。東は和田わだ村、南は中村大王なかむらだいおう村。本山もとやま郷内の一村。天正一七年(一五八九)の本山郷地検帳に「穴内名」とみえ、検地面積八町六反二九代、うち田分二町八反六代一歩、畠分一町九反七代一歩、屋敷数三九で三町九反一五代四歩。すべて長宗我部氏家臣原左助の給地。同年の本山郷高山切畑地検帳によれば六筆二反一一代に小麦大麦が作られている。

元禄地払帳では総地高二一一石余、うち本田高八六石余、新田高一二五石余。本田はすべて渡辺清太夫知行。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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