八番丁
はちばんちよう
[現在地名]高松市番町四丁目
松平頼重入部後に形成され(→六番丁)、宝暦年間(一七五一―六四)後期にその南に九番丁ができるまで番丁武家屋敷の南端であった。北は七番丁、東は天神前武家屋敷、西は宮脇村。東西約二四〇間・南北約六〇間。南北両側で二九軒の町区(天保一五年城下図)。西端を霊源寺前の溜池から引水した水溝が北流、それを渡ると中ノ村稲荷社領で、享保一一年(一七二六)頃まで武家屋敷が九軒あったが(享保年間城下図・小神野夜話)、家臣団の整理に伴って取払われ田地となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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