八百善

デジタル大辞泉プラス 「八百善」の解説

八百善

日本の料亭八百屋を営んでいた初代栗山善四郎が神田から移り住んだ先の浅草で、2代目善四郎が創業(1717年)。文人墨客から将軍家までが利用する、江戸名店となる。明治維新後は、関東大震災や第二次世界大戦の空襲で全焼するなどして、都内各地に移転。現在は通信販売や百貨店の高級惣菜コーナーで江戸料理を提供するほか、神奈川県鎌倉市に実店舗「割烹家 八百善」を構える。宮尾登美子小説『菊亭八百善の人びと』のモデルとしても知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の八百善の言及

【仕出屋】より

…《江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)》(1824)を見ると,高級料亭の大半が仕出しを行っている。山谷(さんや)の八百善は江戸第一と称された店だが,一時は仕出専業であった。そのころのようすを《皇都午睡(こうとごすい)》(1850)は〈当時は精進料理の仕出しのみをして,町家にて三十人五十人の法事仏事あれば,誂へ(あつらえ)に任せ朱黒青漆とか膳碗家具残らず取揃へ,引菓子に至る揃へ……〉と伝えるが,そのように膳椀はじめ道具一式を運び込んで宴席を調えることも多かった。…

【料理茶屋】より

…この両者は最初に海老屋,後に扇屋が落語《王子の狐》に話の舞台として登場する。享和年間(1801‐04)には浅草山谷の八百善,深川土橋の平清,下谷大恩寺前の駐春亭といったところが評判だった。とくに八百善は,大田南畝の狂歌に〈詩は五山,書は鵬斎に狂歌われ,芸者おかつに料理八百善〉とあるように,江戸第一の料理茶屋とされた。…

【料理人】より

… 日本の料理人が,料理人本来のしごとをなしうるようになったのは,江戸後期に町人層が十分に力を蓄積してからと思われる。安永~天明(1772‐89)ころ全盛を誇った江戸洲崎の升屋宗助,それに対抗した樽屋三郎兵衛,享和(1801‐04)ころから台頭した八百善の八百屋善四郎などは,その料理が一部特権階級だけのものだったとしても,日本料理の味覚の質を向上させたといえる。現在の日本では和風料理店の料理人を板前と呼んでいる。…

※「八百善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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