八道村(読み)やじむら

日本歴史地名大系 「八道村」の解説

八道村
やじむら

[現在地名]豊田町大字八道

粟野あわの川上流とその支流域に位置し、北は金道きんどう宇内うない浮石うきいし、東は矢田やた、南は鷹子たかのこ、西は木工路子むくろうじなどの諸村と接する。長府藩領で豊浦郡田耕筋に属した。

吉敷よしき上宇野令かみうのりよう(現山口市)の文明三年(一四七一)の真如寺文書に「西豊田の内八道」とみえる。また杉七郎左衛門家文書(「閥閲録」所収)の文禄四年(一五九五)の「杉少輔九郎給地付立之事」に、

<資料は省略されています>

とあり、村を粟野川に沿って上下(のちには上中下)に分けてよんでいる。

地名の由来を「地下上申」は、「当村之内四ツ辻弐ケ所御座候、(中略)壱ケ所は上八道之内ニて四ツ辻有之、此四ツ辻より東之方え行候時は豊浦郡之内西市・美祢郡之内大嶺・同郡伊佐え出申候、西ノ方え行候時は木工路子・滝部之方え出候、北の方えハ浮石、南えハ庭田・長府・関え罷通候、亦下八道之内ニ有之候四ツ辻、東西南北出行候儀、前ニ同断ニて御座候、右壱ケ所之四ツ辻ニて四道亦壱ケ所之四ツ辻ニて四道、両所ニて八みち之順道有之故」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報