粟野川(読み)あわのがわ

日本歴史地名大系 「粟野川」の解説

粟野川
あわのがわ

華(げ)山北方麓の豊田(とよた)町大字上八道(かみやじ)付近の平野部に集まる諸川を源流に北西へ流れ、中八道(なかやじ)・浮石(うきいし)・殿居(とのい)(豊田町)を経て城(じよう)山南麓で豊北町田耕(たすき)に入り、北流して油谷(ゆや)湾に注ぐ。全長約三〇キロ。明治期の「山口県風土誌」はその川幅を「最広所字郷四十一間五分、最狭所字才ケ瀬拾五間」と記す。

おもな支流は上流から鷹子(たかのこ)川・宇内(うない)川・浮石川・一(いち)ノ俣(また)川(合流地は豊田町)、杢路子(むくろうじ)川・太田(おおた)川・杣地(そまじ)川・滑(なめら)川(大庭川)・蓋(ふた)ノ井(い)川・小河内(おがわち)川などがある。蓋ノ井川は白滝(しらたき)山の北西を流れ下り、景勝豊北峡となる。

天正一五年(一五八七)豊臣秀吉は日向よりの帰途、阿川毛利氏の祖繁沢元氏に対して会いにくるよう命じたが、元氏は病気と称し、江田因幡守を名代として船木(ふなき)(現厚狭郡楠町)に遣わした。その折に鮭一匹を献上したことが「閥閲録」所収の毛利宇右衛門家文書にみえるが、その鮭は粟野川でとれたものといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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