日本歴史地名大系 「八重洲町一丁目」の解説 八重洲町一丁目やえすちよういつちようめ 東京都:千代田区旧麹町区地区八重洲町一丁目[現在地名]千代田区丸の内(まるのうち)二丁目明治五年(一八七二)に成立。北は永楽(えいらく)町一丁目、南は有楽(ゆうらく)町一丁目、東は八重洲町二丁目、西は馬場先(ばばさき)堀で、南側の通りを西進すると馬場先門から皇居外苑へ、東進すると鍛冶(かじ)橋を経て京橋方面へ至る。江戸時代は大名(だいみよう)小路の一画。八重洲は八代洲とも記し、「やよす」「やえす」と読んだ。徳川家康のオランダ人顧問ヤン・ヨーステンの屋敷の所在にちなむ呼称で(紫の一本)、和田倉(わだくら)御門外から日比谷(ひびや)の堀端は八代洲河岸とよばれ、慶長―寛永年間(一五九六―一六四四)には町屋があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by