日本歴史地名大系 「六ッ木村」の解説 六ッ木村むつぎむら 愛知県:豊田市松平地区六ッ木村[現在地名]豊田市松平志賀(まつだいらしが)町 六ッ木巴(ともえ)川に架かる松平橋の西にあり、北古瀬間(きたこせま)・南古瀬間と隣接する。九久平(くぎゆうだいら)―岩倉(いわくら)―六ッ木―酒呑(しやちのみ)を経て則定(のりさだ)・足助(あすけ)(現東加茂郡足助町)を結ぶ道と、旧足助街道の一部で、六ッ木―南古瀬間―二本木(にほんぎ)―重田和(しげたわ)―酒呑を結ぶ重田和道が通る。字八升蒔(はつしようまき)には、縄文晩期の八升蒔遺跡があり、石鏃などが出土している。近世初めは幕府領、寛永郷帳時には成瀬伊豆守領、慶安四年(一六五一)大島(おおしま)陣屋(現東加茂郡足助町)石川氏の支配となり明治に至る。 六ッ木村むつぎむら 東京都:足立区六ッ木村[現在地名]足立区六木(むつぎ)一―四丁目など古綾瀬(ふるあやせ)川(現垳川)の南岸に位置し、東は中川に臨む。南は佐野(さの)新田、西は久左衛門(きゆうざえもん)新田。古綾瀬川沿いに林を伴った屋敷地が連なり南側に耕地が広がる。かつての景観が現在も比較的よく残る。元和二年(一六一六)に開発人河合平内抱名主・百姓中により開発された新田の一つ。開発手形(明治大学刑事博物館蔵)の宛所には六衣新田とあり、開発は織田旧臣と伝える天野氏のほか、寺島氏・矢沢氏らによって行われたという(「東京府村誌」東京都公文書館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報